エンタルピーは、熱力学における重要な概念の一つですが、初めて学ぶ人にとっては理解しにくいと感じることが多い内容です。高校化学や大学の物理化学で登場しますが、定義や単位、公式が複雑で、混乱してしまう方も少なくありません。
しかし、エンタルピーは化学反応の熱量計算や物質の状態変化を理解する上で非常に重要な概念です。化学反応が熱を発するのか吸収するのか、どれくらいのエネルギーが関わるのかを定量的に扱うために、エンタルピーの理解は欠かせません。
本記事では、エンタルピーの基本的な定義から単位、基本公式、具体的な計算例まで、初学者でも理解できるようにわかりやすく解説します。化学や物理を学ぶ学生の方、エンタルピーについて復習したい方は、ぜひ最後までお読みください。
エンタルピーとは何か
それではまず、エンタルピーとは何かについて解説していきます。
エンタルピーの定義
エンタルピー(enthalpy)とは、物質が持つエネルギーの一種で、記号Hで表されます。
エンタルピーは、以下の式で定義されます。
H = U + PV
H:エンタルピー(J)
U:内部エネルギー(J)
P:圧力(Pa)
V:体積(m³)
この式を見ると、エンタルピーは「内部エネルギー」に「圧力×体積」を加えたものであることがわかります。
エンタルピーという言葉は、ギリシャ語の「enthalpos(内部に熱を持つ)」に由来しています。
なぜエンタルピーという概念が必要なのか
「内部エネルギーだけでは不十分なのか?」という疑問を持つ方も多いでしょう。
エンタルピーが必要な理由は、多くの化学反応や物理変化が「定圧条件」で起こるためです。
・大気圧下での化学実験
・開放系での反応(ビーカー、フラスコなど)
・工業プロセスの多く
・日常生活での現象(燃焼、溶解など)
定圧条件(圧力一定)では、系が体積変化すると、外部に対して「圧力-体積仕事」(PΔV)をすることになります。この仕事を考慮に入れるために、エンタルピーという概念が導入されました。
ΔH = Q(定圧条件での熱量)
内部エネルギーとの違い
エンタルピーと内部エネルギーの違いを整理しましょう。
| 項目 | 内部エネルギー(U) | エンタルピー(H) |
|---|---|---|
| 定義 | 物質が持つエネルギー | U + PV |
| 適用条件 | 定積条件で便利 | 定圧条件で便利 |
| 変化と熱 | ΔU = Q – W | ΔH = Q(定圧時) |
| 使用場面 | 密閉容器内の反応 | 開放系の反応 |
化学では、ほとんどの反応が大気圧下(定圧)で行われるため、エンタルピーの方がよく使われます。
エンタルピーの単位
続いては、エンタルピーの単位を確認していきます。
SI単位系での表記
エンタルピーはエネルギーの一種なので、SI単位系ではジュール(J)で表されます。
・ジュール(J)
・キロジュール(kJ)= 1000 J
エネルギーの単位と同じです。
定義式 H = U + PV から単位を確認すると:
U:ジュール(J)
P:パスカル(Pa)= N/m²
V:立方メートル(m³)
PV = Pa × m³ = (N/m²) × m³ = N·m = J
したがって、H = U + PV の全ての項がジュール(J)で統一されます。
よく使われる単位とその変換
化学や物理では、様々な単位が使用されます。
1. ジュール(J)
SI単位系の基本単位
2. キロジュール(kJ)
1 kJ = 1000 J
化学反応でよく使用
3. カロリー(cal)
1 cal = 4.184 J
古い文献や食品のエネルギー表示
4. キロカロリー(kcal)
1 kcal = 4.184 kJ = 4184 J
食品のエネルギー表示
5. 電子ボルト(eV)
1 eV = 1.602 × 10⁻¹⁹ J
原子・分子レベルの反応
| 単位 | 記号 | J換算 |
|---|---|---|
| ジュール | J | 1 J |
| キロジュール | kJ | 1000 J |
| カロリー | cal | 4.184 J |
| キロカロリー | kcal | 4184 J |
モルエンタルピーの単位
化学では、物質1モルあたりのエンタルピーを扱うことが多くあります。
モルエンタルピーは、物質1モルあたりのエンタルピーで、単位は J/mol または kJ/mol です。
・J/mol(ジュール毎モル)
・kJ/mol(キロジュール毎モル)
化学反応のエンタルピー変化は、通常 kJ/mol で表されます。
例えば、水の生成反応:
これは、水1モルが生成するときに286 kJの熱が放出されることを意味します。
エンタルピーの公式
続いては、エンタルピーの公式を確認していきます。
エンタルピーの定義式
既に述べましたが、エンタルピーの基本的な定義式は以下の通りです。
H = U + PV
H:エンタルピー
U:内部エネルギー
P:圧力
V:体積
この式から、エンタルピーは状態量(系の状態だけで決まる量)であることがわかります。
エンタルピー変化の公式
化学では、エンタルピーの絶対値よりも、エンタルピーの変化量(ΔH)の方が重要です。
ΔH = H₂ – H₁
H₁:初状態のエンタルピー
H₂:終状態のエンタルピー
ΔH:エンタルピー変化
定義式から変化を考えると:
定圧条件では:
ΔH = ΔU + PΔV
さらに、熱力学第一法則(ΔU = Q – W)と、
定圧での仕事(W = PΔV)を用いると:
ΔH = Q(定圧条件)
定圧条件でのエンタルピー変化
定圧条件でのエンタルピー変化には、符号の意味があります。
ΔH 0(正の値):
・吸熱反応
・系が熱を吸収
・周囲の温度が下がる
・例:融解、蒸発、分解反応
エンタルピー変化の種類
続いては、エンタルピー変化の種類を確認していきます。
反応エンタルピー(反応熱)
反応エンタルピーは、化学反応に伴うエンタルピー変化
のことです。
一般的な化学反応:
aA + bB → cC + dD ΔH = ? kJ/mol
ΔHは、反応物から生成物が生じるときのエンタルピー変化を表します。
例:
この反応では、184.6 kJの熱が放出されます(発熱反応)。
生成エンタルピー(生成熱)
生成エンタルピーは、単体から化合物1モルが生成するときのエンタルピー変化
です。
・単体の最も安定な状態を基準
・化合物1モルの生成
・標準状態(25℃、1気圧)での値を標準生成エンタルピー(ΔH°f)と呼ぶ
例:
H₂(g) + 1/2 O₂(g) → H₂O(l) ΔH°f = -286 kJ/mol
二酸化炭素の標準生成エンタルピー:
C(黒鉛) + O₂(g) → CO₂(g) ΔH°f = -394 kJ/mol
例:H₂(g)、O₂(g)、C(黒鉛)などの ΔH°f = 0
燃焼エンタルピー(燃焼熱)
燃焼エンタルピーは、物質1モルが完全燃焼するときに放出される熱量
です。
・常に負の値(発熱反応)
・完全燃焼を前提
・有機化合物は CO₂ と H₂O になる
・燃料のエネルギー評価に使用
例:
CH₄(g) + 2O₂(g) → CO₂(g) + 2H₂O(l) ΔH°c = -890 kJ/mol
エタノールの燃焼エンタルピー:
C₂H₅OH(l) + 3O₂(g) → 2CO₂(g) + 3H₂O(l) ΔH°c = -1367 kJ/mol
エンタルピーの計算例
続いては、エンタルピーの計算例を確認していきます。
ヘスの法則を使った計算
ヘスの法則は、「反応のエンタルピー変化は、経路によらず始状態と終状態だけで決まる」
という法則です。
エンタルピーは状態量なので、反応がどのような経路を経ても、始状態と終状態が同じなら、全体のエンタルピー変化は同じになります。
例題:
目的反応:
C(黒鉛) + 1/2 O₂(g) → CO(g) ΔH = ?
与えられたデータ:
① C(黒鉛) + O₂(g) → CO₂(g) ΔH₁ = -394 kJ/mol
② CO(g) + 1/2 O₂(g) → CO₂(g) ΔH₂ = -283 kJ/mol
解答:
① – ②:
[C + O₂ → CO₂] – [CO + 1/2 O₂ → CO₂]
= C + O₂ – CO – 1/2 O₂ → CO₂ – CO₂
= C + 1/2 O₂ → CO
したがって:
ΔH = ΔH₁ – ΔH₂ = -394 – (-283) = -111 kJ/mol
生成熱からの反応熱の計算
生成エンタルピーを使えば、任意の反応のエンタルピー変化を計算できます。
ΔH°反応 = Σ(生成物の生成エンタルピー) – Σ(反応物の生成エンタルピー)
ΔH°反応 = ΣnΔH°f(生成物) – ΣmΔH°f(反応物)
例題:
CH₄(g) + 2O₂(g) → CO₂(g) + 2H₂O(l)
標準生成エンタルピー:
ΔH°f[CH₄(g)] = -75 kJ/mol
ΔH°f[CO₂(g)] = -394 kJ/mol
ΔH°f[H₂O(l)] = -286 kJ/mol
ΔH°f[O₂(g)] = 0 kJ/mol(単体)
解答:
= [(-394) + 2×(-286)] – [(-75) + 2×0]
= [-394 – 572] – [-75]
= -966 + 75
= -891 kJ/mol
メタン1モルの燃焼で、891 kJの熱が放出されます。
実際の問題例
もう一つ実践的な例を見てみましょう。
例題:
N₂(g) + 3H₂(g) → 2NH₃(g) ΔH = -92 kJ/mol
(1) この反応は発熱反応か吸熱反応か。
(2) NH₃ 34 g が生成するとき、何 kJ の熱が発生するか。
解答:
エンタルピーと日常生活
続いては、エンタルピーと日常生活の関わりを確認していきます。
化学カイロの仕組み
使い捨てカイロは、鉄の酸化反応(発熱反応)を利用しています。
2Fe(s) + 3/2 O₂(g) → Fe₂O₃(s) ΔH ≈ -824 kJ/mol
この反応は大きな負のエンタルピー変化を持ち、多量の熱を発生します。カイロを開封すると空気中の酸素と反応し、数時間にわたって熱を放出し続けます。
燃料のエネルギー
様々な燃料のエネルギーは、燃焼エンタルピーで評価されます。
・水素:-286 kJ/mol
・メタン(都市ガス):-890 kJ/mol
・プロパン(LPガス):-2220 kJ/mol
・エタノール:-1367 kJ/mol
・ガソリン:約 -5500 kJ/mol(平均)
燃焼エンタルピーが大きいほど、同じ量でより多くのエネルギーが得られます。
冷却パックの原理
瞬間冷却パックは、吸熱反応を利用しています。
NH₄NO₃(s) → NH₄⁺(aq) + NO₃⁻(aq) ΔH ≈ +26 kJ/mol
この反応は正のエンタルピー変化を持ち、周囲から熱を吸収します。袋を叩くと内袋が破れて水と混ざり、溶解反応が起こって冷却されます。
まとめ|単位・公式・定義のポイント
本記事では、エンタルピーの定義、単位、公式について、初学者でも理解できるようにわかりやすく解説しました。
エンタルピー(H)は、内部エネルギーに圧力と体積の積を加えたもの(H = U + PV)で、定圧条件での熱量計算に便利な状態量です。単位はジュール(J)または キロジュール(kJ)で表され、化学反応では通常 kJ/mol が使用されます。
定圧条件でのエンタルピー変化(ΔH)は系が吸収または放出する熱量に等しく、負の値なら発熱反応、正の値なら吸熱反応を意味します。ヘスの法則や生成エンタルピーを使うことで、様々な反応のエンタルピー変化を計算できます。
エンタルピーは、化学カイロや燃料、冷却パックなど、私たちの日常生活の様々な場面で関わっています。エンタルピーの概念を理解することで、化学反応のエネルギー変化をより深く理解できるようになります。